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この世界のすべては、雑音で出来ている。

オープンワールド その3

例えば2011年に発売された「スカイリム」は、広大に広がるフィールドと細部まで作り込まれた世界の圧倒的な物量、そしてそれが可能にする抜きん出た自由度によって特徴づけられたゲームだ。

スカイリムにおいて、世界を形づくっているのはもはや無味乾燥な記号ではない。
森や山はただ見えているだけの背景ではなく、分け入ったり登ったり、思いのままにに探索することができる。
それだけでなく、プレイヤーはあらゆる意味で自由だ。
一般的なゲームにおいて「お約束」として存在するシステム上の禁止事項−NPCを攻撃したり、店の商品を盗んだりといった−からは解き放たれているし、攻略の順序についての制約も極めて緩やかなものとなっている。

スカイリム以降、家庭用のゲーム機でも続々と登場することとなる「オープンワールド」と呼ばれる形式のゲームは、程度の差こそあれ、共通してこうした特徴を備えている。

要するに、極めて「リアル」であるということだ。

もちろん、それは「現実」そのものではない。

しかし少なくとも、限定されたフィールドの内部で、与えられたコマンドの中から行動を選択するしかなかったかつてのゲームと比較すると、はるかに「現実」に近いところにある。

これはかつて我々が望んでいたことだ。

しかし同時に、ゲームをやっている我々がいつも忘れていた−忘れるように努めていた−あることを思い出させてくれたようにも思われる。

「現実」は往々にして面倒くさく、時には非常に厄介だということを。