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この世界のすべては、雑音で出来ている。

オープンワールド その4

例えば、RPGの中でいつも行なっていることを現実世界で同じようにやろうとすればどうなるか、想像してみよう。
一つの町から隣の町に行くには、かなりの時間を費やさなくてはならない。歩きならなおさらだ。
走れば疲れるし、重いものを持ち過ぎれば走ることもままならない。
次にどこに行けばいいか、何をすればよいか。何が必要なもので、何が役に立たないお荷物か。こんなことを懇切丁寧に教えてくれる人も存在しない。
与えられた課題や試練が必ず克服可能だとは限らないし、乗り越えた先に然るべき報酬が待ち受けている保証もない。
そして何より、自分自身の歩んだ道のりが、積み重ねた時間が、語るに値する物語へと昇華することなどほとんど期待はできないのだ。
もちろん、よく出来たゲームなら、こんな現実の退屈さにいつも幻滅させられるわけではない。
しかし、とりわけ出来の悪いオープンワールドのゲームの中には、「退屈な現実」の力に抗いきれず、その自由さや広大な世界の魅力を十分に発揮できていないものも、まま見受けられるのも事実だ。
こうした作品においては、煩わしいことだらけのだだっぴろい世界の中で、何をすればいいかも分からずにただ途方に暮れるしかない。
かつて夢見たような「リアル」なゲームであるにも関わらず、かつて期待したほどには面白くはない−こんなゲームに出会うことで、我々は嫌でも思い知らされる。ゲームを「現実」に近づけることと「面白さ」を両立させることは、とても難しいのだと。

それでも我々は「リアル」なゲームを待ち望んでいるし、より「リアル」に、かつ「面白く」進化したゲームというのは、やはり生み出され続けているし、そして我々はその進化にワクワクさせられている。

「現実」のように構築された世界で、ゲームだけが可能にする「面白さ」を追求するー困難な命題だが、例えば「ウィッチャー3」と「ゼルダの伝説」は、それぞれ異なるアプローチでそれを達成しているように思われる。まだ誰も試していない、全く新たなアプローチがあるかも知れない。

我々としては、かつて夢見ていたゲームに巡り会えたと感じることのできるその日まで、引き続きワクワクしていたいと思う。