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この世界のすべては、雑音で出来ている。

東京ひとりめし

 食事というのは極めて社会的な行為だ。

 「社会的」というのは「他人と関わる」くらいの意味だが、それは往々にして、というか本質的に、合理性や機能性の外にはみ出す。

生きていくだけなら、水と、最低限の栄養を取るだけで事足りるのであり、美味しいものを食べる必要はないし、食事の写真をいちいちS N Sに上げる必要もない。何より、一人きりで食事をとってもなんの問題もない。

にも関わらず我々は、食事に際して、うんざりするほど余計なことをする。

食事という行為は、不合理で余計なもののかたまりだ。

しかし、それは致し方ないことなのかも知れない。いつ、何を、どこで、誰と食べるかについて、どんな余計なことをやってのけるかということが、その人間の人生に大きな影響を与えるからだ。

それ故か、一人で食事を摂るというのは、意外な困難を伴う。世の中は、一人で食事する人間のためには出来ていないのだ。

もちろん「お一人さま」向きの店はたくさんある。しかし、それは安くて大衆的な店がほとんどだ。気の利いた店になるほど、魅力的な店になるほど、一人では入りづらくなるのが世の常である。

東京という街はまだ「お一人さま」に優しいが、やはり壁は感じざるを得ない。その中で、いかに一人きりの食事を充実させていくか?一人でも美味しいものを食べたいという欲望を追求していくか?自分なりに戦ってみたい。